私は小学校2年生まで川崎市麻生区で、高校卒業までは伊豆半島の河津町で育ちました。
河津はとても環境がよく、今は2月〜3月頭に咲く河津桜で有名なところです。
山、海、川、温泉がそろってとてもいいところなのでぜひ観光にきてください!
大学はどうしても東京に出たくて、東京に行くなら山手線の内側にある大学!と田舎者丸出しの考えで(笑)高校3年生の夏からだけは勉強を頑張りました。
勉強始めた当初は偏差値40くらいしかなかったにもかかわらず、本命は早稲田大学!
だから平日でも1日8時間くらい休日は14時間くらいは必ず勉強して(だから授業中は寝て)、
直前には合格圏まで偏差値はあがりました。
しかし残念ながら、気の弱さが祟ってか合格には至らず、
でも法政大学文学部史学科に合格し山手線の内側の目標は達成できました。
つらかった塾の先生時代
そして最初に就職したのが塾の講師です。
講師と言っても授業もすれば営業もする何でもさせられました。
営業と言ってもポスティングと電話です。
遅くまで授業やってその後ポスティングなどをやってヘロヘロでした。
しかも授業の準備は勤務時間内にやってはいけない、
成績が振るわない生徒向けに時間をとって補習をやってもいけない(営業しろ)
ということを言われていて、講師をしたかった私からすれば納得いかない職場でした。
授業内容が伴っていないのに子どもに対しておまけをあげるから生徒紹介してという、
子どもだまし的な営業に辟易し、授業の準備まですれば寝る時間がないような状態で心も体も疲れ果て、
結局体を壊して1年くらいで辞めました。
でもおかげで体力がつきまして、人よりも長時間よく働く人間になれました(笑)
資格を取る!
当時も景気はよくなかったですから、短期で仕事を辞めてしまったら、
正社員の仕事を探すには苦労します。
そして塾での経験から、子どもだましみたいなことをするのは嫌だから、
直接お金にまつわる仕事がしたいと思いついたものの、
私を取ってくれるところはありません。
だから資格を取ることにしました。
正社員ではないですが証券会社のコールセンターで働きつつ
証券外務員やFP3級、簿記2級を8か月くらいで取り、
就職活動をしたら、意外とあっさり会計事務所に就職が決まりました。
会計事務所でFPになろうと志す!
会計事務所ではFPの資格が効いていたようで、
法人・個人事業主の会計税務のみならず、相続も経験させてもらえました。
要するに何でもやらされた、と言い換えることができるかもしれません(笑)
非常に忙しかったですが、非常に充実し今の仕事の役に立ってます。
本当に感謝しかありません。
ちなみに最高、朝7時半に出勤し、翌午前3時半まで勤務をしたことがあります(苦笑)
ここで出会ったのがファイナンシャルプランナーの仕事です。
途中からFP業をやろうということになり、
ライフプランシミュレーションを作成したり、法人のみならず個人の保険を扱ったり、
金融商品仲介業登録をして投資信託を販売したりを経験することができました。
会計事務所でいろいろ経験させていただいた中で一番やりがいがあったのはFPの仕事です。
法人だとビジネスですが、個人相手だと生活そのものとなるので、
喜びが近くで感じられ、法人相手よりもやりがいを感じることができました。
だから、FPに特化してやっていこう、また会社の方針に左右されないように独立しようと思い、
いかにローリスクで独立するかを考えて、次に保険会社に就職することにしました。
想像以上にひどいと感じた保険会社時代
損害保険会社で、生保損保両方とも扱い、
3年後に独立するという、代理店研修生と言われる職種です。
もともと知識があった私はその生命保険会社の商品が好きだったので、
そこに就職することに決めました。
始めからわかっていたとはいえ、そこはノルマノルマの世界です。
研修も参加させていただきましたが、
そこはいかにして売るか、いかにして高額にするかの話しばかりでした。
結局はそういう世界なんですよ。
現実を知るという点ではいい勉強はさせてもらえましたが、
人のための仕事をしたかった私は失望しました。
そして一年ちょっとで退職し、
絶対に自分ではなく相手にためのベストを尽くすFPになる!!
という強い想いのもと、ファイナンシャルプランナーで独立をしました。
そして独立!
しかし独立してもすぐに仕事があるわけではありません。
とはいえ、「ライフプランシミュレーションいかがですか?」と
営業するのもおかしいし、(営業力はないのでそもそもできないですが)
HPを作ったり、企業から紹介を受けたり、バイトしたり、
簿記やFPの資格講師をしたりして暮らしているうちに
HPからのも受注が増え、そして「いい人」であるという方針の基で仕事をしていると、
紹介もしていただけるようになり、
気がついたら軌道に乗っていて今に至っております!
独立後の感動ストーリーがある人もいらっしゃいますが、
私は気づいたらこうなっていたという感じなのです。
私のこのやり方のFPは社会的にとても意義がある仕事だと思っていますので、
近い将来同志を雇用し、もう少したくさんの人のお役に立っていきたいと考えています。
そのためにこれからも試行錯誤し、
皆さんのお役に立っていければと思っています!
※結婚し妻の苗字を選択して土屋から齊藤に苗字が変わっていますが、仕事上は土屋を使用していく予定です。